脳動脈瘤を前向きに捉えて治していこうと思えるようになったのは本当にごく最近です。コロナ の影響もあって先延ばしにできる理由ができてしまうと、手術のリスクと破裂するリスクのどちらも怖く不安だけが増えていくようになりました。
私の場合は、脳動脈瘤の形が変わったのではないかという経過観察の結果から手術を決意しました。
不安な時にこの本に出会っていたら、「前向きに捉えなくても良い」「自分の心を正直に出して良い」と思え、心が楽になるのではないかと思いました。
同じ病気を持つ人が、心が楽になった上で手術に臨めたら良いのではないかと思いましたのでこの本をご紹介します。
参考になったら嬉しいです。
本の情報
- 著者:南直哉(みなみじきさい)
- 出版社:アスコム
- 出版日:2022/3/10
- ページ数:240 ページ
著者で禅僧の南直哉さんは、1958年に長野県で生まれた方です。
早稲田大学を卒業後、百貨店に勤めていましたが、1984年に曹洞宗で出家しました。
その後、永平寺で約20年間修行し、2005年から恐山の菩提寺の院代となりました。また、福井県霊泉寺住職でもあります。
禅の教えや自身の経験をもとにした多くの作品を出版しています。
代表作としては、
- 『老師と少年』:永平寺での修行時代に出会った老師との交流を描いたエッセイ
- 『恐山:死者のいる場所』:恐山での活動や死者と生者の関係について語ったエッセイ
- 『禅僧が教える心がラクになる生き方』:禅の教えを日常生活に活かす方法を紹介した実用書
があります。
こんな人におすすめ!
この本はこんな人におすすめです。
- 「前向きに生きる」ことが苦手な人
- 自分の心に正直に生きたい人
- 自分らしく生きる方法を探している人
脳動脈瘤が発見されると、死が間近に感じられたりします。そんなときにどうしてこうなってしまったんだろうとか、この後どうなるんだろうかとかを考えてしまいネガティブな状態になってしまいます。そんな心を救ってくれます。
要点とポイント
「自分がいるのは当たり前、大事にするのは当然」というのは間違っている
本書では最初から結構衝撃的な内容から始まります。自分とは何だろうかという疑問から始まります。
細胞は、3ヶ月もすれば全て入れ替わるので体は同じ状態ではありません。自分は、心によって成り立っているのだとすると、「昨日の心」と「今日の心」が同じだと言う必要がありますが、そうだと言えるのためには、自分の「記憶」と「他人からの承認」が必要になります。それほど「自分」という存在は不確かなものだということになります。
そもそも私たちは「この世に生まれたい」と希望して生まれてきたのではなく、この世に「たまたま」生まれ、他人から「自分」にさせられています。人の最大の欲求は「自分」にしてくれた他人から承認されたいということだと本書では述べられています。
今は承認欲求を排除し自己肯定感を持とうというビジネス書や自己啓発本が多い中でこの主張は衝撃です。承認欲求を認め、人がなぜこの世にいるのかを示しているのが本書の特徴だと思います。
さらに、著者は続けます。釈迦は、この世のすべては「苦」であると言います。自分は借り物であって、この苦の中をどうにか元気付けながら、死ぬ日まで過ごせば良いと言います。
ただ、人は何らかの意味を持たないと生きられません。意味を持つためには、誰かに認めてもらう必要があります。だから、自分のためでは無く誰かのために何かをするということになります。そこで大切なのは
- 誰を大切にしたいのか
- 何を大切にしたいのか
になります。この2つについて今の時点で何をすべきかを考えて実行していくことが大事だと言います。
仏教では「自分が自分であることには所詮根拠がない」と言います。根拠のない自分を変えられると考えること自体が勘違いなのだと言います。今の状況を何とかしたいと思えば思うほど自分を追い込んでしまいます。そんなとき違う視点があると気づくことで見える景色が変われば大分楽になり、人生は全く別の意味を持つようになります。
「夢」「希望」「生きがい」「やりがい」は無くて良い
人は夢や希望が叶わなかったときにがっかりしてしまい何もやる気が出なくなったりしてしまうことがあります。
「夢」や「希望」は叶った時よりも叶わず、挫折から立ち上がった人の方が価値があるという。その人は、損得勘定から離れて本当に大事なものを見極められるようになるからだという。「夢」や「希望」がなくなった時こそ自分の本音を徹底的に見つめましょう。
「生きがい」や「やりがい」も同じようになくていいものです。これらを探したくなるのは現状に不満や不安があるからだといいます。生きがいややりがいを持てない状況でも問題ないのだという。
人はこのあたりの言葉を小さい頃から四六時中聞かされていて、絶対に持たなくてはならないもので、それらがなければ生きていく資格がないとばかりに強制されてきたように思います。こうして、人はそんなにたいそうなものではないと自覚するだけでほっとします。
感情に振り回されない事が大事!方法は...
何かを考える時に思考や感情に巻き込まれたまま考えてはならないので、これらを断ち切るための方法を身につける必要があるという。
揺れてもいいが、感情がこぼれ落ち取り返しのつかない状態にならない心である「不動心」を身につける必要があるという。
感情や思考は自分の食い止めることは意志でやろうとしても難しい。そこで体の方からアプローチすることでコントロールするテクニックを使い抑え込もうという。
- 坐禅
- 散歩
- 飲み物や食べ物をじっくり味わう
- 肌に意識を向けてお風呂に入る
- 草取りをする
というものです。
これらを使って、クールダウンする事を勧めています。クールダウンとリフレッシュは違うので温泉や旅行のような興奮するようなものであってはならず、一人であまり動かないようなものをする事をするようにと述べています。
感情として厄介なものには
- 怒りや嫉妬
- 人と理解し合えない
があります。
怒りや嫉妬はかえって抑え込もうとすると逆効果になります。そんな時は頭と体を切り離すイメージを持つとよいといっています。頭は感情にまかせ、体は日常を淡々と過ごすということが有効で、決められたことをやっていくうちに平常心が戻ってくるといいます。もう一つの方法として思っていることについて独り言を言ったり書き出してみるのも有効だそうです。
人と理解し合えないは、人間関係での悩みの主なものです。
人々が自分のことを理解してほしいと望むことがありますが、他人は自分の立場からしか見ることができないため、完全に理解し合うことはできません。
また、人間関係は自分の生き方やあり方を決定づける重要な要素であり、友人関係を維持しようとすることで悩みやストレスが生じることがあるため、本当に大切な人間関係を選び、調整することが望ましいと述べています。
具体的には、自分が本当に大切にしたい人間関係を決め、その関係を調整していくことに集中することです。そのためには、人間関係をよく観察し、自分が望む関係を築くために必要な行動を取ることが重要です。
最終的に、自分自身が幸せになるために、自分の人間関係を自分でコントロールすることが大切だということです。
人は死に向かって生きている、後悔はして良い
大切な人を亡くした後、後悔は必ず残るものですが、後悔を打ち消す必要はなく、後悔を抱えたまま生きていけば、いずれはその後悔の中に意味を発見することができます。身近な人の看取りを迎えたときに、自分の体験を活かせば、その後悔は意味を持つものになります。
90歳以上の方を何人も弔ってきた著者によると、90歳以上の人々は穏やかな最期を迎えているといいます。天命をまっとうする人々は、基本的に体力も気力もあり、周囲の人々に支えられ、大切にされています。良い縁は手間と時間をかけることで育てることができるため、他者を受け入れる努力をすることが必要となります。
著者は人生を舟に例えています。人生とは「自分」という舟で川を渡るようなものであり、「自分」という舟に未練を持たずに、川を渡りきって向こう岸に降りて人生を終えることが最善だと言います。死ぬことは誰にでも訪れることで、死後の世界がどうなるかはわからないが、死を恐れることはありません。死を乗り越えようとする必要もなく、意味や価値を求める必要もありません。
まとめ
まとめです。
- 自分」という存在は不確かなもの
- 人の最大の欲求は「自分」にしてくれた他人から承認されたいということ
- 人は何らかの意味を持たないと生きられから「誰を大切にしたいのか」「何を大切にしたいのか」を考えよう
- 自分を変えられると考えること自体が勘違い、違う視点があることに気づこう
- 「夢」「希望」「生きがい」「やりがい」は無くても良い
- 感情は体の方からアプローチすることでコントロールできる
- 人は死に向かって生きていて恐れることはない、後悔はして良い
以上参考になったら嬉しいです。